スウェーデン滞在日誌(11/09)



早起きしてウプサラに行く。

ガイドブックを見ると、博物館がいくつかある。 本当は2日ぐらいかけてじっくり回りたいところだが、 連日行き来するにはちょっと遠い。 宿を取ろうかとも思ったが、幸か不幸か冬場で閉館している施設が多いので、 駆け足で回れば一日でなんとかなりそう。

出かけに空が暗かったが、早朝なので晴れてくることを期待してそのまま出発。 ウプサラまでは郊外電車(Pendeltaag)が伸びていないので、 国鉄(SJ)の列車を利用する。 駅でウプサラ方面行きの案内を見て適当に歩いていったら、 改札を通過せずにホームにたどり着いてしまった。 発車後に回ってくる乗務員に行き先を言って、切符を買えばいいらしい。 駅の窓口で事前購入することもできるようだが。 特急列車X2000の2等席で80SEK。

電車の窓から景色を眺めていたら、天気が良くなるどころか吹雪いてきた。 結局この日は、小雨になったり雪が舞ったりするなか、ウプサラ見物をする羽目に。


UppsalaC

40分ほどでUppsalaC駅に到着。 それなりに大きな町だと思うが、ストックホルムの中央駅近辺と比べると、 意外と落ち着いていると言うか、寂れていると言うか。

ここはグスタフ・ヴァーサ時代からの古い町で、 少し離れた丘の上には彼が築いたウプサラ城があり、 町の中心には北欧最大の大聖堂がある。 また、少し離れたガムラ・ウプサラには6世紀頃の古墳があるらしい。 現代では政治や経済の拠点がストックホルムに移ってしまい、 歴史的建造物を抱えた観光都市、 ウプサラ大学のある学生の町としての面が強いようだ。 日本で言うと京都のようなところか。

まだ9:40でどこの施設も開いていないので、 とりあえずルーン石碑を見に大学広場まで歩く。

同じ古都の中にある大学でも、 ウプサラ大学は京都大学のようにきっちり区切られたキャンパスがあるわけではなく、 街中に建物が分散しているようだ。普通の道を歩いていて、 ふと脇の建物の窓を見ると、そこが授業中の講義室だったりする。

大聖堂遠景

広場へ向かう途中、大聖堂が見えてくるが……でかい。

大聖堂の下のほう 大聖堂の上のほう

近づくとカメラのフレームに入りきらない。 ちょっと立派な教会ていどのものを想像していたのだが、甘かった。

大聖堂正面 建物の脇の道に立って見上げると圧倒される。 ベンチの側にいる人の大きさに注目。


大学広場 大学本部

大学広場に到着。写真は広場の奥にあるUniversitetshusetで、 大学本部らしい。右の写真は広場と反対側から本部を撮ったものだが、 手前で棒をつかんでいる手首の像が謎だ。

ルーン石碑その1 ルーン石碑その2

ここに、あちこちから集めてきたルーン石碑が9個ほど並べてある。

ルーン石碑その3 ルーン石碑その4

左の写真で石碑の脇に立っている札は、Sigtunaなどのルーン石碑と共通の仕様で、 出土地や碑文の内容などの説明が書いてある。

大聖堂脇の教会 大聖堂脇の教会内部

この時期、大聖堂が8:00から開いている以外、 博物館などは早いものでも11:00まで開かない。 近くに小さな教会があったので、入ってみる。

隣に巨大な大聖堂があるので小さく見えたが、中は意外に立派。 天井に絵が描いてあったり窓がステンドグラスになっていたりと、 けっこう本格的なつくりになっている。


教会を出ててくてく歩き、町外れの丘の上にあるウプサラ城を見に行く。

途中、インフォに寄って地図やパンフレットをもらっておく。 事前にあるていどはWWWで情報を集めておいたが、 博物館の場所と開館時間などの一覧を載せたパンフレットが手に入ったので、 これを見ながら回ることにする。 「地球の歩き方」は細かいデータが書いてなかったり間違っていたりするので、 参考ていどにしか使えない。

ウプサラ城北側 ウプサラ城南側

平地ではなく丘の上に建ててはいるものの、 この城も要塞というより屋敷のようなつくりになっている。

城の中はガイドツアーで見学できるのだが、この季節はやっていない。 建物の一角は博物館になっており開館していたが、 なぜか城の所蔵品の展示ではなく現代美術館らしいのでパス。

ヴァーサ王の像

ヴァーサ王の胸像。 美化され過ぎて(?)、ギリシア神話の神様みたいになっている。

ウプサラ城の庭園

城の西側には立派な庭園があるが、ここも冬場は閉鎖。

鐘楼 鐘楼の大砲

見られるものがあまりないので、城の脇にある鐘楼に上って見る。 写真に写っている人たちは観光バスのツアー客らしい。 私がいる間に何組もやってきたが、 城に入れないので鐘楼に上っただけで帰っていった。

やっぱりここにも大砲がある。

ウプサラ城から見た大聖堂

城のある丘から見た大聖堂。さすがにここからだと全体像がわかる。


大聖堂のあたりまで戻ってくると昼前だった。 Stora広場からバスに乗り、ガムラ・ウプサラ(Gamla Uppsala)へ向かう。

ガムラ・ウプサラは今のウプサラに活動拠点が移る前の町だったらしく、 6世紀ぐらいの遺跡が残っている。 けっこう有名な史跡らしいが、例によって時期が悪いのに加え天候も最悪なためか、 バスに乗っているのは地元民らしきお年寄りばかり。 街中を抜けて落ち着いた住宅街に入ったあたりで、次々と降りて行ってしまう。 結局、ガムラ・ウプサラまで乗っていたのは私だけだった。

ガムラ・ウプサラ ガムラ・ウプサラ周辺

バス停を降りて踏み切りを渡ると、遺跡の案内板がある。 それによると、古墳が3つと古い教会、博物館と小さなレストランがある。 あとは見事なまでに何もなく、周りに原っぱが広がり、 遠くに牧場や森が見えている。

ガムラ・ウプサラの教会 ガムラ・ウプサラの教会内部

とりあえず教会に行ってみる。 古い教会だけに見た目は地味だが、 中は意外と広く、天井まで壁画が描かれるなど、かなり手の込んだ作りになっている。

教会の壁のルーン石碑 教会裏のルーン石碑

教会の裏手にまわると、なぜかルーン石碑が壁に埋め込んである。 地面にもいくつか立っているというか、破片が突き刺さっているというか。

東側から見た古墳群 西側から見た古墳群

古墳の方は草に覆われた単なる丘で、見た目といい大きさといい、 日本のあちこちにある小さな古墳と変わらない。 なんか懐かしい風景というか、 もっと気候のいい時期に遠足で来たくなるというか。

現王室と繋がりはないと思うが、いちおう王墓だからか、 古墳自体は柵に囲まれて立ち入り禁止になっている。 その周囲に遊歩道が設けられているので、てくてく歩いて一周する。 時期が悪いうえに雪が舞っているから人もほとんどおらず、 観光客は10人足らずしかいないようだった。 あとは、ジョギングや犬の散歩をしている地元民が数人だけ。

ガムラ・ウプサラの博物館

「地球の歩き方」によると博物館はこの時期、土日のみ開館となっていたが、 実際は日曜開館で土曜日は休みだった。 あとは見るところもないので、 バスに乗ってStora広場まで戻る。

時間がないので昼食はスタンドのホットドッグで済ませる。 スウェーデンは物価が高く、 ファーストフードやカフェのマフィン類も日本と同じかもっと高いぐらいなのだが、 ホットドッグスタンドだけは安く、 10〜20SEK(130〜260円ぐらい)で腹ごしらえができる。 ただ、 日本の街中にある屋台だとお好み焼きやたこ焼きといったバリエーションがあるが、 スウェーデンではどの屋台も同じメニューのホットドッグだけ。


午後になり、午前中は閉館だったUppland博物館なども開いているのだが、 まずは15:00までしか開いていない大聖堂博物館に入る。

大聖堂の中に入ると「←博物館」のような表示があるのだが、 エレベータがあるだけでそれらしい入り口が見当たらない。 近くにあった売店で聞いてみたら、入館料を払うように言われ、 ペンライトを渡してくれた。 大聖堂の上のほうの階が展示室になっており、 エレベータで上がって勝手に見てくれ、ということらしい。

エレベータが最上階に着いたが、 ドアが開かないのでちょっと悩む。 手動なのだろうと横に引いてみたが動かない ……スライド式ではなく蝶番式で、中からは押して開けるのだった。

展示室は所蔵品保護のためか、照明が暗めになっている。 ここも人は少ないが、 先客が1人、ペンライトで展示物を照らしながら鑑賞していたので、 こちらもペンライトを使いながら見て歩く。

聖職者の衣類 大聖堂の財宝

上のほうの階には、手の込んだ図案を織り込んだ聖職者の衣類や、 貴金属の食器などが並んでいる。 胸の辺りに磔のキリストが描いてある服というのは、 かなり悪趣味だと思うが。

王室関係の財宝

下のほうに降りていくと、王室関係の財宝が展示してある。

写真の左端に写っている冠は針金のような枠に真珠がびっしりとついているのだが、 すっかり色あせて灰色になってしまっている。 その右に3本並んでいるのがセプターで、 右のほうにある十字架のついた球体がオーブらしい。 ファンタジーRPGのアイテムとしておなじみだが、 とくにオーブの方、実際には何に使うのだろう。

中央の剣は、上のバイキングソードっぽいのがグスタフ・ヴァーサ王の剣で、 下のレイピアはカール十何世だかのものらしい。 ヴァーサ王の剣は「王の柩より発見」と説明がある。 ヴァーサ王の柩は大聖堂内に安置されているのだが……開けたんですか?

年代物だけに、レイピアの先のほうは錆びてボロボロになっている。 ヴァーサ王の剣も、貴金属で飾られた柄は今でも輝いているものの、 鞘の中の刀身は錆びだらけだろう。


Gustavianum

大聖堂自体は夜まで空いているので、博物館だけ見てからいったん外に出て、 向かい側の歴史博物館(Gustavianum)に入る。

ここは昔、大学の建物だったらしいが、 現在は博物館になっている。 最上階の中央にドームのような奇妙な構造物があるが、 ここは当時、人体解剖の講義室として使われたらしい。 特徴のある形なので、この博物館のシンボルマークになっている。

入ったところに、なぜか剣歯虎の頭骨が置いてあった。 館内は撮影不可なので写真はなし。

大学ゆかりの記念品を集めた小さな博物館かと思ったが、 入ってみると大学の研究者が集めた資料や標本が並んでいて、 けっこう見ごたえがあった。 歴史学の部屋には発掘調査の成果と思しきエジプトのミイラなどが並んでいるし、 リンネがいた大学だけに、生物学の部屋には当時の標本が残っている。

生物学の部屋の片隅には5,6体の鳥の標本が並んでいたが、 どうもなにかおかしい。 よく見ると、双頭のヒヨコや4本足の雛など、奇形の標本ばかり集めてある。 3本足のニワトリなど完全に成鳥になっていたが、よく育ったものだ。

同じ部屋に魚の標本があったのだが、 台紙に押し花のごとく魚が貼りついているという、不思議な標本だった。 ある程度の立体感はあるし、色も残っているから、 実物の姿を保った標本としてはなかなかよくできている。 魚をそのまま押し花にしたら潰れて形が崩れてしまうだろうから、 たぶん腹か裏側を切って肉(と骨?)を取り出してあるのだろう。 素直に剥製にするのと、あまり難易度が変わらない気がする。

最上階に上がると人体解剖の講義室がある。 ここの構造についてはUppland博物館の模型(後述)を参照。

私が行ったときにはプロジェクタを持ち込んで講義のようなことをしていて、 中国人(?)のスタッフがテレビカメラで撮影していた。 最初にチケットを買おうと売店に行ったら、 仲間を探しているのかと聞かれて戸惑ったのだが、 どうやらスタッフの一員と思われたらしい。 この時期にウプサラまで来る東洋人の観光客は少ないだろうから無理もない。

この講義室のすぐ脇には、解剖学に関する小さな展示ケースがあり、 人間の腕、心臓、肝臓(?)の乾燥標本というなかなかえぐいものが飾ってあった。 どうやったら臓器の形を保ったまま乾燥標本にできるのか、不思議だ。

解剖学教室と同じ階に、バイキングに関する展示室がある。 規模は小さいが、剣や兜などのほか、 この地方で見られる舟を使った墓が丸ごと展示されていた。 また、入り口付近にはヴァーサ王のものだと説明のある杖があった。 塗装もしていない木の棒なのだが、よく見るとルーン文字が彫ってあって、 なかなかかっこいい。 レプリカがあれば欲しかったのだが、残念ながらミニチュアすらなかった。 木か合成樹脂で複製を作れば、剣と違って日本にも持ち込み可能だし、 北欧ならではのルーン文字入りでお土産にいいと思うのだが。 ぜひ商品化を検討いただきたい……ってこんなところに書いてもしょうがないか。

一階に下りて企画展示室を覗くと、なぜかネコの特別展をやっていた。 入り口のあたりにかわいいネコの写真が貼ってあったり、 展示の最初の方にヤマネコ類の剥製があったりするのはいいとして、 奥に進むとネコ類の頭骨があったり、全身骨格があったり。 挙句の果てには、脳から脊髄までを取り出した標本やら、 理科室にあるカエルの標本のような、鯵の開き状態の解剖標本やら、 ここまでいくと悪趣味としか。 ネコ好きがネコ展と聞いて見に来たら、卒倒すると思う。 実際、若いカップルがいたが、女性の方はちょっと泣きそうになっていた。

しかも、そういうえぐい展示を見終わって出ようとすると、 ウプサラ猫愛好会(らしき組織)の入会案内が置いてある。 ブラックユーモア?


リンネ博物館

歴史博物館を出た後、少し離れたところになるリンネ博物館まで歩く。 しかし行ってみるとここも冬場は閉館。 しかたがないので、閉ざされた鉄格子の隙間から写真だけ撮って引き上げる。 ちなみに、交差点を挟んだ対面には、カフェ・リンネという店が。


大聖堂のあたりまで戻ってきたら、もう15時過ぎ。 少し遠い進化博物館などはあきらめて、近くのUppland博物館に入る。

ここはこの地方の郷土博物館のようなものらしく、 日用品や文化に関する資料や、この地域に生息する生物の標本などが展示してある。

彩色した家具

この地方では家具にカラフルな模様を描く文化があったらしく、 派手に彩色された家具が並んでいる。 写真の左の方に立っているのは熊手なのだが、 こんなものにまで模様が……。

楽器いろいろ ナイフ

左の写真はこの地方の民族楽器らしい。

右の写真のナイフも伝統的なものらしく、 ストックホルムの土産物屋でよく見かける。 このサイズなら日本に持ち込めそうだが、 売っているものはかなり値が張る。

大聖堂の模型

町のどこからでも見えるくせに全体像がわかりにくい大聖堂だが、 こういう形状らしい。 2本の尖塔がある左側が入り口で、現在はその向かい側に歴史博物館がある。

解剖学教室の模型その1 解剖学教室の模型その2

歴史博物館最上階にある、人体解剖講義室の模型。 真上から見ると八角形の部屋の中央に、解剖用の人体を横たえる台があり、 それを囲むように急な傾斜をつけて見学席が設けられている。 席といっても机や椅子はなく、 立ったまま手すりにつかまって解剖台を見下ろすようになっている。

左の写真で奥に写っている、 executer swordがぶら下がって血糊のついた物騒な小部屋は謎。 処刑された有名人の捨て台詞、もとい、辞世の言葉らしき文句が書いてあったのだが、 どういう素姓の人なのかは分からなかった。

博物館の一角で、地元のアマチュア写真展のようなものをやっていた。 その中に「スーパーマンのTシャツを着てピカチュウの風船を持った青年」 の写真があり、 このピカチュウが、少女漫画のように瞳に星が入っているという怪しげな代物だった。 写真も撮ったのだが、 そんなヤバげなピカチュウを載せた日にはN社に訴えられそうなので自粛。


最後にウプサラ大聖堂に入ろうと思ったら、 何やら行事で使っているとかで、閉まっている。 終ったらまた入れるようになるとのことで、 少し時間をつぶしてから戻ってくる。

博物館と違って夜まで開いているので、一番後回しにしたのだが、 完全に日が落ちて中が暗くなってしまったのは、ちょっと失敗。 照明があるので中を見学するには困らないのだが、 外から光が差し込まないので、ステンドグラスは暗くてよく見えない。

大聖堂内部 大聖堂の天井

大聖堂内は、基本的には普通の教会と同じようなつくりで、 中央に祭壇へ続く通路が伸び、両側に椅子が並んでいる。 ただしひたすら大きい。写真だとあまり大きさがわからないが、 実際に入ってみると天井が馬鹿馬鹿しいぐらいに高いところにある。

映画の「The Lord of the Rings」を見て、 モリアで出てきたドワーフの宮殿の天井がやたらと高いのが不思議だったのだが、 こういうイメージなのかもしれない。 あの映画の監督はじめスタッフの多くはニュージーランドの人なので、 本当にヨーロッパの大聖堂をイメージしていたのかわからないが。

大聖堂の柱その1 大聖堂の柱その2

天井を支える柱も巨大で、一つ一つ違う彫刻がしてある。 手はこんでいるのだが、彫刻のセンスがいまいちよくわからない。 牛の目つきが怪しすぎる。

大聖堂の祭壇

祭壇も立派。 というより、周りの空間が広すぎて祭壇だかなんだかよくわからない。

大聖堂内の回廊

普通の教会は壁際まで椅子が伸びているが、 ここは周囲が回廊になっており、その壁側は小部屋に分かれている。

小部屋には祭壇があったり、 予備の椅子などをしまう物置だったりするものもあるが、 いくつかは立派な柩が安置されている。 どうも、王や聖人などのVIPは、ここに葬ってもらえるらしい。

グスタフ・ヴァーサの柩

入り口と反対側にある、 一番立派な柩が、グスタフ・ヴァーサ王と2人の妃のものらしい。 柩の蓋には、横たわる3人の姿が彫刻してある。

聖エリクの棺

石造りのヴァーサ王の柩と比べるとなにやら怪しげな金ぴかの柩だが、 聖エリクの柩らしい。

聖エリクというのは13世紀の伝説的な王で、 スウェーデンのあちこちに名前が出てくる。 どこかで読んだ数少ない英語の説明によると、 教会でミサかなにかやっている最中にデーン人に攻められて死んだ (首をはねられている絵があるので、捕らえられて殺された?)らしい。 身の安全より信仰を優先したことと、 その血に触れた盲目の人が見えるようになるなどの奇跡が起きたことから、 聖人になったらしい。

そんな昔の、しかも敗死した王の遺体が残っているのか怪しい気がするが、 大聖堂のWWWページによると、 柩自体は3度作り直されているものの、 現在の柩の中には12世紀ぐらいの男性の骨が入っているらしい。 ご丁寧に、首に剣で切断された跡があるそうな。

大聖堂回廊の床

回廊の床には蓋のようなものが並び、文字が彫ってある。 どうもこれも墓のように見える。 個室→床の下→外の墓地、ぐらいのランクがあるのだろうか。


「地球の歩き方」のレストランガイドにはウプサラの店は載っていないので、 適当に歩いていて見つけた中華料理屋で夕食をとる。

外国では日本ほど列車の時刻が正確ではないと言われるが、 スウェーデンに来てから今まで、交通機関は非常に正確だった。 しかし、この日のウプサラからの帰りの列車は、 18:27分着の予定が大幅に遅れ、18:40に到着。 現地の人たちもかなりいらいらしているようだったので、 ダイヤが狂うのはわりと珍しいのかもしれない。



最終更新: 2007年 3月 20日 火曜日 15:24:19 JST

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